旅のあれこれ〜文 学
永井荷風ゆかりの女性
今村 榮
新富町金貸富吉某の身寄の女、虎門女學校卒業生なりと云ふ、一時書家高林五峯の妾といふ、大正十二年震災後十月より翌年十一月まで麻布の家に置きたり、當時二十五歳
『斷腸亭日乘』(昭和11年1月30日) |
昨夜中洲の平澤夫妻三河臺内田信哉(ママ)の邸内に赴きたり。早朝徃きて訪ふ。雨中相携へて東大久保に避難せる今村といふ婦人を訪ふ。平澤の知人にて美人なり。
『斷腸亭日乘』(9月10日)
雨霽る。平澤今村の二家偏奇館に帶留することゝなる。
『斷腸亭日乘』(9月11日)
兩三日前より麻布谷町通風呂屋開業せり。今村令嬢平澤生と倶に行きて浴す。心氣頗爽快を覺ゆ。
『斷腸亭日乘』(9月17日)
正午再び今村令孃と谷町の錢湯に徃く。
『斷腸亭日乘』(9月18日)
今村お榮は今年二十五歳なりといふ。實父は故ありて家を別にし房州に在り、實母は藝者にてお榮を生みし頃既に行衞不明なりし由。お榮は父方の祖母に引取られ虎の門の女學館に學び、一たび貿易商に嫁し子まで設けしが、離婚して再び祖母の家に歸りて今日に至りしなり。其間に書家高林五峯俳優河合の妾になりゐたる事もありと平澤生の談なり。祖母は多年木挽町一丁目萬安の裏に住み、近鄰に貸家多く持ち安樂に暮しゐたりしが、此の度の災火にて家作は一軒殘らず烏有となり、行末甚心細き様子なり。お榮はもともと藝者の兒にて下町に住みたれば言語風俗も藝者そのまゝなり。此夜薄暗き蝋燭の光に其姿は日頃にまさりて妖艶に見え、江戸風の瓜實顔に後れ毛のたれかゝりしさま、錦繪ならば國貞か英泉の画美人といふところなり。お榮この月十日頃、平澤生と共にわが家に來りてより朝夕食事を共にし、折々地震の來る毎に手を把り扶けて庭に出るなど、俄に美しき妹か、又はわかき戀人をかくまひしが如き心地せられ、野心漸く勃然たり。
『斷腸亭日乘』(9月23日)
再びお榮を伴ひ三菱銀行に赴く。馬場先門外より八重洲町大通、露店櫛比し、野菜牛肉を賣る。
『斷腸亭日乘』(10月13日)
今村お榮祖母と共に吾家を去り、目白下落合村に移居す。
『斷腸亭日乘』(10月27日)
午前酒井君來談。客月吾家に避難せしお榮を迎へ家事を執らしむべき相談をなす。
『斷腸亭日乘』(11月9日)
午後二時過、酒井君お榮の手荷物を扶け持ち自働車にて來る。お榮罹災後は鏡臺もなく着のみ着のまゝの身なれば、手荷物一包にて事極めて簡素なり。書齋の爐邊に葡萄酒を酌み酒井君の勞を謝す。
『斷腸亭日乘』(11月11)
微雨晩に霽る。微雲半月を籠め温風春の如し。お榮の鏡臺を購はむとて倶に四谷を歩む。
『斷腸亭日乘』(11月19日)
晩飯を喫して後お榮を伴ひ、山形ほてるに松莚子を訪ふ。
『斷腸亭日乘』(12月31日) |
松莚子と晩餐を共にすることを約したれば、小星を伴ひ、山形ホテルに徃く。
『斷腸亭日乘』(1月1日)
晴れて好き日なり。お榮を伴ひ先考の墓を拜す。夜五山堂詩話を讀む。
『斷腸亭日乘』(1月2日)
黎明強震。架上の物墜つ。門外人叫び犬吠ゆ。余臥床より起き衣服を抱えて階下なるお榮の寢室に徃き、洋燈手燭の用意をなす中、夜はほのぼのと明けそめたり、此日輕震數囘あり。
『斷腸亭日乘』(1月15日)
夜お榮と銀座を歩み、櫻田本郷町の生藥屋にて偶然梔子の實を購得たり。近年藥舗も西洋風になりて草根木皮を蓄ふるもの稀になりぬ。
『斷腸亭日乘』(4月24日)
遽に頭痛を覺え讀書執筆共に爲し難し。左の肩より頸筋へかけ後頭部ずきずきと痛むなり。今日まで覺えしことなき頭痛なり。額田博士を招ぎ診察を請ふ。特に藥を用るほどの病にはあらずといふ。お榮日夜介抱に怠りなし。
『斷腸亭日乘』(5月3日)
小星を携へて銀座を歩む。
『斷腸亭日乘』(5月28日)
ホ(※「日」+「甫」)時松莚子來訪ふ。本郷座稽古の歸途なりといふ。小星を伴ひ山形ホテルに徃き晩餐をの馳走に與る。
『斷腸亭日乘』(6月4日)
夜お榮を携へ銀座を歩み築地に出づ。
『斷腸亭日乘』(6月23日)
微恙あり。藥を服用して羅山文集をよむ。酒井晴次氏來談。お榮の事につきてなり。
『斷腸亭日乘』(10月29日)
午前酒井君來訪。小星今年夏の頃より病あり。今に癒えず、殊に生來多病にて永く箕箒を秉るに堪えされば、一時家に還りて養生したき由。酒井君を介して申出でぬ。熟談してその請ふにまかせ、祖母の家に還らしむ。お榮酒井君の周旋にて予が家に來しは、恰去年の今月今日なり。其日を同じくして去る。奇ならずや。
『斷腸亭日乘』(11月11日)
お榮の事につき市ヶ谷薬王寺前酒井君の居宅を訪ふ。
『斷腸亭日乘』(11月12日)
快晴。お榮わが家に在りし時金錢を私せし事露見し、酒井氏嚴談に及び、幸にして損害を償ひ得たり。
『斷腸亭日乘』(11月25日) |
一昨年震災後、家に召使ひしお榮といふも人々美形なりといひしが、表情に乏しく人形を見るが如き心地したり。
『斷腸亭日乘』(1月12日)
予數年前築地移居の頃には、折々鰥居の寂しさに堪えざることありしが、震災の頃よりは年も漸く老來りし故にや、卻て孤眠の清絶なるを喜ぶやうになりぬ。その頃家に蓄へし小星お榮に暇やりしも、孤眠の清絶を喜びしが故に外ならず。
『斷腸亭日乘』(1月22日) |