旅のあれこれ
乃木希典
嘉永2年(1849年)11月11日、江戸の長府藩上屋敷(現:東京都港区六本木)に生まれる。 明治8年(1875年)12月、熊本鎮台歩兵第十四連隊長心得に任じられ、小倉に赴任。 明治9年(1876年)10月27日、秋月の乱。乃木希典率いる小倉鎮台が秋月党を攻撃。 明治10年(1877年)2月22日、熊本県植木町(現:同県熊本市植木町)付近の戦闘で連隊旗を奪われてしまう。 |
私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行ったものを読みました。西南戦争の時敵に旗を奪とられて以来、申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日こんにちまで生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た年月(としつき)を勘定して見ました。
『こころ』(下 先生と遺書 十二) |
明治17年(1885年)5月21日、最年少で少将に昇進し、歩兵第十一旅団長に任じられる。 明治29年(1896年)10月14日、台湾総督に任じられる。 明治30年(1897年)11月7日、台湾総督を辞職。後任は児玉源太郎。 明治31年(1898年)10月3日、善通寺第十一師団の初代師団長に補任され、金倉寺に寓居。 明治34年(1901年)5月22日、休職。 明治35年(1902年)、乃木邸新築。 明治37年(1904年)5月2日、第三軍司令官に任命される。 明治37年(1904年)、必勝祈願に浜松市の不動寺参拝。 明治38年(1905年)1月5日、水師営の会見。 明治40年(1907年)1月31日、第十代学習院長を兼任。 明治41年(1908年)、氷見の朝日山公園に神武天皇銅像建立。台座に「永芳」を揮毫。 明治45年(1912年)7月30日、明治天皇崩御。 大正元年(1912年)9月13日、満62歳で殉死。 |
乃木大将(だいしょう)の死んだ時も、父は一番さきに新聞でそれを知った。 「大変だ大変だ」といった。 何事も知らない私たちはこの突然な言葉に驚かされた。
『こころ』(下 先生と遺書 十二) |