源実朝ゆかりの地


『金槐和歌集』

建暦3年(1213年)12月18日までの成立とする説が有力。

白川の里居わびしみ夜ふかく金槐集の歌讀み耽(ふけ)

『玄 冬』

建保7年(1219年)1月27日、実朝は公暁に襲われ落命。享年28。

 金槐和歌集巻之上

鎌倉右大臣実朝卿家集

   秋 部

   名所秋月

さゝ浪や比良の山風さ夜深(ふけ)て月影さびし志賀の唐崎

月見れば衣手さむしさらしなや姥捨山のみねの秋風

山寒み衣手うすしさらしなや姥捨の月に秋ふけしかば

   冬 部

   霰

ものゝふの矢並つくろふ籠手(こて)の上に霰たばしる那須の篠原

ながむればさびしくもあるか煙立室の八島の雪の下もえ

山里は冬こそことにわびしけれ雪ふみわけてとふ人もなし

武士(もののふ)のやそうぢ川を行水の流れてはやき年の暮かな

 金槐和歌集巻之中
鎌倉右大臣実朝卿家集

   戀之部

東路やみちの奥なる白川のせきあへぬ袖をもる涙かな

人しれず思へば苦し武隈のまつとは待たじ待てばすべなし

 金槐和歌集巻之下

鎌倉右大臣実朝卿家集

   雜 部

東路のさやの中山こえて往なばいとゞ都や遠ざかりなむ

世中はつねにもがもな渚こぐあまのを舟の綱手かなしも

   箱根の山をうち出て見れば浪のよる小島あり。供のも
   のに此うらの名はしるやとたづねしかば伊豆のうみと
   なむ申すと答へ侍しをきゝて

箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよるみゆ

   走湯山參詣の時

わたつ海のなかに向ひて出る湯のいづのお山とむべもいひけり

走り湯の~とはむべぞいひけらし速き效(しる)しのあればなりけり

伊豆の國や山の南に出る湯のはやきは神のしるしなりけり

山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも

   あら磯に浪のよるを見てよめる

大海の磯もとゞろによする波われてくだけて裂けて散るかも

   民のかまどより煙の立つを見てよめる

みちのくにこゝにやいづく鹽釜の浦とはなしにけぶり立見ゆ

   かち人の橋わたりたる所

かち人のわたればゆるぐ葛飾の眞間の繼橋朽やしぬなむ

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