宮沢賢治ゆかりの地

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玉淀の歌碑

鉢形城跡から正喜橋を渡り、荒川沿いを行く。


玉淀


 水のゆるやかに流れる様子を玉に見立て、「玉のように美しい水の淀み」だということだそうだ。

宮沢賢治の歌碑があった。


毛虫焼くまひるの火立つこれやこの秩父寄居のましろきそらに

つくづくと「粋なもやうの博多帯」荒川ぎしの片岩のいろ

 大正5年(1916年)9月2日、宮沢賢治熊谷に宿泊、翌3日に寄居を訪れた。

 大正5年9月3日、盛岡高等農林学校(現国立岩手大学農学部)第2学年在学中、農芸化学科主任教授引率の下に秩父地方の土壌地質調査研究を当地から始める。一行は23名、橋の下から中の渡し付近まで調査、荒川岸の岩石の移り変わりを観察し、宿は末野にとったと思われる。

 岩畳や虎岩を見学、小鹿野、三峰、秩父を経て、帰りの7日、甌穴を見学し、本野上駅から帰郷した。

賢治20歳の時である。

玉淀水天宮に石沢無腸の句碑があった。


玉淀の四季

川底へ大写しなる桜かな
月落ちて涼し闇ゆく水の音
城跡を残して鳥の渡りけり
吾街の山河閑かに冬に人る

 明治31年(1898年)、石沢無腸は寄居町に生まれる。茂木秋香に師事。無腸は蟹の異名。

 昭和52年(1977年)11月3日、無腸門下は深谷市の畠山重忠史跡公園に芭蕉の句碑を建立。

昭和53年(1978年)7月、無腸没。行年80歳。

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