田山花袋ゆかりの地
田山花袋の歌碑〜中央公園〜
田山花袋は小説『田舎教師』などの作者として著名であるばかりか、また紀行文の大家としても知られている。 この花袋の『東京の近郊』(大正5年刊)には 「『山は皆夜になりゆく大空に富士がねのみぞ暮れのこりける』なれば私がある初冬の薄暮れに、東北から来て、暮色の中に黒く残った富士を望んで、そして詠んだ歌であった。丁度電車が蕨駅を通ってゐる時であった。」 このように蕨の夕暮れの富士は、花袋の詩情をそそった。 昔から私たちの祖先も富士の霊峰を蕨八景の第一にかかげ、また私たちも朝夕、その勇姿に親しんできた。 ところが、この20年このかた経済界の高度成長がもたらした大気汚染のため、富士はほとんどその姿をあらわさなくなった。そして私たち市民からも忘られようとしている。 このとき蕨ライオンズクラブは市制20周年を記念し、あわせて公害のない住みよいふるさとづくりを念願して、この歌碑を建てるという。 私はその意に賛し、乞われるままにこの小文を草した。ちなみに碑面の書体は、ご遺族が家蔵する色紙によった。 昭和54年11月3日
蕨ライオンズクラブ建立 |