旅のあれこれ文 学


永井荷風ゆかりの地ゆかりの女性

つれづれなるあまり余が帰朝以来馴染を重ねたる女を左に列挙すべし。

『斷腸亭日乘』(昭和11年1月30日)

内田八重

新橋巴屋八重次明治四十三年十月より大正四年まで、一時手を切り大正九年頃半年ばかり燒棒杭、大正十一年頃より全く關係なし新潟すし屋の女

中村ふさ

初神樂坂照武藏の抱、藝名失念せり、大正五年十二月晦日三百圓にて親元身受をなす、一時新富町龜大黒方へあづけ置き大正六年中大久保の家にて召使ひたり、大正七年中四谷花武蔵へあづけ置く、大正八年中築地二丁目三十番地の家にて女中代りに召使ひたり、大正九年以後実姉と共に四谷にて中花武藏といふ藝者家をいとなみ居りしがいつの頃にや發狂し松澤病院にて死亡せりと云ふ、余之を聞きしは昭和六年頃なり、實父洋服仕立師、

今村 榮

新富町金貸富吉某の身寄の女、虎門女學校卒業生なりと云ふ、一時書家高林五峯の妾といふ、大正十二年震災後十月より翌年十一月まで麻布の家に置きたり、當時二十五歳

白鳩銀子

本名田村智子大正九年頃折々出會ふ陸軍中將田村の□□□三女

清元秀梅

初清元梅吉弟子、大正十一年頃折々出會ひたる女なり、本名失念大坂商人の女

関根うた

麹町富士見町河岸家抱鈴龍、昭和二年九月壹千圓にて身受、飯倉八幡町に圍ひ置きたる後昭和三年四月頃より富士見町にて待合幾代といふ店と出させやりたり、昭和六年手を切る、日記に詳なればこゝにしるさず、實父上野櫻木町々會事務員

此外臨時のもの挙ぐるに遑あらず、

大竹とみ

大正十四年暮より翌年七月迄江戸見坂下に圍ひ置きたる私娼

吉田ひさ

銀座タイガ女給大正十五年中

八重福

永井荷風ゆかりの地に戻る

旅のあれこれ文 学に戻る