尾崎放哉ゆかりの地


尾崎放哉の句

須磨寺時代(大正13・6〜14・3)

雨の日は御灯(みあかし)ともし一人居る

茄子もいできてぎしぎし洗ふ

雨の幾日かつづき雀と見てゐる

人をそしる心をすて豆の皮むく

念彼観音力(ねんぴかんのんりき)風音のまま夜となる

障子しめきつて淋しさをみたす

わが足の格好の古足袋ぬぎすてる

お寺の秋は大松のふたまた

ただ風ばかり吹く日の雑念

しぐれますと尼僧あいさつされて居る

かへす傘又かりてかへる夕べの同じ道である

こんなよい月を一人で見て寝る

雀のあたたかさを握るはなしてやる

こんな大きな石塔の下で死んでゐる

底がぬけた杓で水を呑もうとした

小浜時代(大正14・5〜7)

背を汽車通る草ひく顔をあげず

浪音淋しく三味やめさせて居る

淋しいからだから爪がのび出す

小豆島時代(大正14・8〜15・4)

島から出たくも無いと云つて年をとつてゐる

眼の前魚がとんで見せる島の夕陽に来て居る

ここ迄来てしまつて急な手紙書いてゐる

島の小娘にお給仕されてゐる

すばらしい乳房だ蚊が居る

足のうら洗へば白くなる

螢光らない堅くなつてゐる

すさまじく蚊がなく夜の痩せたからだが一つ

とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた

松かさも火にして豆が煮えた

山に登れば淋しい村がみんな見える

自分をなくしてしまつて探して居る

なにがたのしみで生きて居るのかと問はれて居る

二人ではじめてあつて好きになつてゐる

髪の美しさもてあまして居る

ひどい風だ、どこ迄も青空

追つかけて追ひ付いた風の中

障子あけて置く海も暮れきる

入れものが無い両手で受ける

咳をしても一人

これでもう外に動かないでも死なれる

ふるさと大きな星が出とる

墓のうらに廻る

あすは元日が来る佛とわたくし

小さい島に住み島の雪

死にもしないで風邪ひいてゐる

肉がやせてくる太い骨である

春の山のうしろから烟が出だした

大正時代

大正4年

常夏の真赤な二時の陽の底冷ゆる

大正5年

小さく生まれ此の池にあそべる魚よ

大正6年

たき火せる父に霜柱はかたし

大声に鶏を追ふ裸の男

裸の子が並び居り汽車に声はなつ

今日一日の終りの鐘をききつつあるく

草花に淋しい顔をよする児よ

大正7年

妻を叱りてぞ暑き陽に出で行く

売言葉買言葉桜咲ききれり

大正8年

亀を放ちやる昼深き水

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