『三千里』


一色に菊白しきるまじと思ふ

明治40年(1907年)8月8日、河東碧梧桐は西馬音内に入る。

途中小雨もあったが、西馬音内の町に着いた頃けたたましい雷鳴も聞えて本降りの雨になった。実に三旬余の天の賜物である。熱砂焼土の苦に耐えなかった我等もまた蘇生の想いをする。

柴田氏の別墅「対川荘」


柴田紫陽花は、別荘の主柴田氏の分家筋。本名政太郎。

 八月十二日。半晴。

 予の宿泊する家は、この地の素封家柴田氏の別墅である。特に風景に富むというのではないが、四方田の中にあるので自ら市塵と相隔っておる。家の側に、小菊を寄植にしたのが花壇の中にあって、今花を咲きそめておる。その花が白の一色なので目もさめるようである。毎朝この花の側近の非戸に凭(よ)って冷水磨拭をやる。下りた靄の薄らいだ辺から、日の光が漏れる頃じゃ。

前庭に碧梧桐「一色に菊白志きるまじと思ふ」の句碑があるそうだが、現在立入禁止。

8月25日、河東碧梧桐は初めて西馬音内の盆踊りを見た。

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