河東碧梧桐ゆかりの地


砂白ろ尓庭燎焚くらむ楠の冬

 今治市大三島町宮浦の県道21号大三島上浦線沿いに伊予銀行宮浦支店がある。

伊予銀行宮浦支店の西側に河東碧梧桐の句碑があった。


砂白ろ尓庭燎焚くらむ楠の冬
(すなしろにていりょうたくらむくすのふゆ)

昭和58年(1983年)1月、建立。

 河東碧梧桐(本名は秉五郎)明治6年(1873年)2月26日生、昭和12年(1937年)2月1日没。松山に生まれ、父が正岡子規の漢学の師、兄が子規の友人であったため、早くから子規に近づき、また高浜虚子とも少年時代より親交があった。京都の三高に入学し、後に仙台の二高に転じたが、学風をきらって中退し、上京して子規の俳句革新運動を助ける。やがて新傾向の俳句運動を起こし、自由律俳句を提唱する。この間、俳句行脚と称して全国を遍歴し、明治43年(1910年)11月12日大山祇神社に参拝した。この句はその時の作であり、書は六朝体といわれるもので、この面においても一家をなしている。

河東碧梧桐ゆかりの地に戻る

旅のあれこれに戻る