石田波郷の句碑


朝顔の紺の彼方の月日かな

 松山市西垣生町の石田和弘氏邸に石田波郷の句碑があるというので、訪ねようとした。

昭和12年(1937年)、石田波郷は『鶴』を創刊・主宰。

昭和12年(1937年)、波郷の長兄和弘応召、波郷は急ぎ帰郷する。

   家兄應召、急ぎ歸郷す   三句

秋日暑車窓を覆ひひたひた歸る

直歸る秋日の艫にうづくまり

稲田照り眞向きし城へ直歸る

『鶴の眼』

昭和17年(1942年)6月27日、軍人会館で吉田安嬉子と結婚。

途中のお食事処の庭に波郷の句碑があった。


朝顔の紺の彼方の月日かな

出典は『風切』。

昭和17年(1942年)秋の句である。

昭和17年(1942年)、波郷の弟出征。

   弟出征   二句

丈高くまぎれず征けり冬紅葉

冬紅葉父をも顧みざりけり

『風切』

昭和49年(1974年)11月、建立。

平成14年(2004年)4月13日、石田和弘氏は93歳で亡くなった。

今は空き家になっているとのこと。

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