石田波郷


『江東歳時記』を歩く

亀戸天神で

大方は鷽売切れし日和かな

江東区亀戸に亀戸天神がある。

亀戸天神社


 昭和33年(1958年)1月25日、石田波郷は亀戸天神の初天神を訪れている。

 一月二十五日は初天神。筑前太宰府、大阪の天満、京都の北野に劣らず亀戸天神も大にぎわいだ。戦災で焼失後、前田侯寄進の仮殿も戦後の歳月に古び、名物の藤も梅もきびしい冬枯れの姿のままだが、心字池にかかる朱塗りの太鼓橋を渡って参詣人はひきもきらない。土曜の午後のためか中学生や小学生を連れた父母が目立つ。菅原道真公を祭るだけに二月の入学試験が成功するように「学業御守護」の祈願をするためである。繭玉や天神花の露天商にはさまれた参道にくると、神楽殿の里神楽の神田ばやしの笛、太鼓、鉦の音が高調子にひびいて初天神も最高潮。

「うそ縁起」に「亀戸天神はつくしのうつしなれば」とある如く、太宰府天満宮のうそ替の行事が、文政三年から毎年正月二十四、五両日に行われる。太宰府では正月七日四方の里人がそれぞれ手作りのうそどりの木彫をもちよって神前で互にとりかえ、その年の吉兆をまねいたというが、亀戸でもはじめはやはり自分で作ったうそを取りかえた。

「うそかえましょう」

とそでからそでへとかえていたが、やがて無言で人のたもとに手を入れてとりかえるようになり、これを掏摸が利用するので禁止された。前年のうそを社前に納め、新しいのを買って帰って神だなや床の間に飾るようになったのである。

「これやいままでのあしきもウソとなり吉にトリ(鳥)かえんとのこころにてうそかえという」

 とんだ語呂合せだが、小は一寸から大は六、七寸の木にあらい削りあとだけの彫りに彩色した鷽は、太宰府のより素朴で稚雅の味をもつ。どこで作るのかせんさくしない方がよいような郷土芸術品といってよい。三千の鷽が売切れるという。信仰伝承は次第に失せてゆくにしても、こういう素朴な形はのこってゆくだろう。

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