島木赤彦ゆかりの地


富坂〜島木赤彦〜

東京メトロ南北線後楽園駅から春日通りを行く。


礫川公園の脇に「富坂」の標識があった。


富 坂

春日1丁目と小石川2丁目の間

 「とび坂は小石川水戸宰相光圀卿の御屋敷のうしろ、えさし待ちより春日殿町へ下る坂、元は此処に鳶多して女童の手に持たる肴をも舞下りてとる故とび坂と云」と『紫一本』にある。鳶が多くいたので、鳶坂、転じて富坂となった。

小石川後楽園が「光圀卿の御屋敷」である。

 また、春日町交差点の他に(二ヶ谷(にがや))をはさんで、東西に坂がまたがって飛んでいるため飛坂ともいわれた。そして、伝通院の方を西富坂、本郷の方を東富坂ともいう。都内に多くある坂名の一つである。

 この近く礫川小学校裏にあった「いろは館」に島木赤彦が下宿し、“アララギ”の編集にあたっていた。

「富坂の冬木の上の星月夜いたくふけたりわれのかへりは」

         島木赤彦(本名 久保田俊彦 1876〜1926)

−郷土愛をはぐくむ文化財−

文京区教育委員会

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