2013年青 森

恐山菩提寺〜「冷抜の湯」〜
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下北半島にやって来たからには、恐山へ。


恐山奥の院

地蔵菩薩は中心にして不動阿字の本体なり

      若し衆生有つて是の心を知らば決定して成就す

「仏説延命地蔵菩薩経」より

 右の一句は地蔵菩薩と不動明王の二而不二を意味し、不動明王は地蔵菩薩の化身というのであります。それ故に当山本尊伽羅陀山地蔵大士を中心に、奥の院地蔵山不動明王、奥の院釜臥山嶽大明神本地釈迦如来が一直線上に奉納され三者が一体であることを意味しております。

 当山は伽羅陀山地蔵大士を本尊に仰ぐ霊場であります。地蔵菩薩の「地」という文字は大地をあらわし、「蔵」は生命を生み出す母胎、母の心をあらわしております。人に踏まれても、ひたすら人をささえていく大地と子の痛みを我が痛みとして、しかとうけとめてくれる母の心こそ地蔵菩薩そのものなのであります。

 即ち、釈迦如来の附属を受けた本尊の慈悲心と一切の煩悩を打ち砕く確固たる不動心の現成が蓮華の花びらのような八峰(地蔵山・鶏頭山・大尽山・小尽山・北国山・釜臥山・屏風山・剣の山)に囲まれた蓮華台の如き恐山そのものなのであります。

 ご参拝の皆様には「釈迦地蔵不動一体義」の元、右の三聖地をお参りなされる事によって、当山参拝の結願が決定成就されるのであります。

霊場恐山 恐山菩提寺

山 門


門より本堂まで三町もあらむ。左に僧坊客室長き一棟をなし、右に自炊の客室連れり。浴室は地蔵堂のすぐ前に二つ、少し離れて三つあり。客坊と自炊室を合すれば、数百千人を収容するに足るべき設備也。

「陸奥の海岸線」(恐山)

本 堂


曹洞宗の寺院である。

地蔵殿


本尊伽羅陀山地蔵大士安置

◎田名部海辺三十三観音巡礼

三十三番札所 恐山菩提寺

 恐山は貞観4年(862年)に天台宗の慈覚大師によって開山されたと伝えられる。

 康正2年(1456年)蛎崎の乱の際に焼き払われ、いったん廃寺となるが、享禄3年(1530年)に円通寺開山の宏智聚覚和尚が再興した。

 観音像はこちらの開山堂に安置され、中央の聖観音、十一面観音ともに円空作で、ナタ彫りという独特の技法で作仏されたものであり、巡礼の結願所としてふさわしい霊場である。

大師堂


 天明8年(1788年)9月5日、井上重厚は盛岡の門人夜食房夜来に伴われて恐山に参る。

鵜剪山の開基慈覚照見大師の書残給へる法華八軸は、我仕へ奉る天台の座主梶井法親王の添ぶみありて、今尚此山の宝物たり。かゝる清浄の地なれば、仏法僧も翼を爰にとゞめ、善男善女人袖をつらねて六字の称名怠らず。

此山の冥加あらせ給へは池の月
   重厚

鵜剪山へ参りて、八葉を巡れば、翁の高野の吟をおもひ出て、

秋の暮我父恋し母恋し
   夜来

『奥の紀行』

地 獄


寛政4年(1792年)11月1日、菅江真澄は菩提寺に目覚めた。

霜月朔の日 あさとくおき出て鶏頭山を見やり、軒ばに近き湯泉を汲て手あらふ。袖に霜冴えたり。

   いづる湯の末や氷のむすぶらん朝戸出寒く霜さやぐなり

さばかりふかき雪ながら、みてらのほとりはいと浅く、温泉の湧出るあたりは、たえてつもらず。本堂にまうでてあふげば、釜臥山、菩提寺といふふたつの額は、もろこしの僧侶悦山の、めでたうかいなし給ふにこそ。

   鳥ならであとなき雪の山ふかく分ればこゝにみねのふる寺

「牧の冬かれ」

文化10年(1813年)5月、松窓乙二は恐山に登った。

   宇曽利山

山艸やこれも仏のみをむすぶ


宇曽利湖を見下ろす。


恐山心と見ゆる湖を囲める峰も蓮華なりけり   大町桂月

昭和42年(1967年)5月20日、星野立子は恐山を訪れた。

 恐山はつまらない処であった。天然の噴火のあとに人間が名をつ
けて橋や小山や水があちこちにあるところである。陽気でない処
である。

極楽の土に影おき大やんま

炎天の下に虫鳴き恐山

来し方を振り向かずゆく秋風に

秋の蠅多かりしこと恐山


「小滝の湯」と「冷抜の湯」がある。


「御自由に入浴できます」とあるので、入ってみた。


泉質は含硫化水素酸性緑礬泉だそうだ。

掛け流しである。

恐山で温泉に入れるとは思わなかった。

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