私の旅日記2011年

法眼寺〜碑巡り〜
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黒石市山形町に法眼寺という寺がある。


黄檗宗の寺である。

延宝8年(1680年)、南宗元頓によって温湯村に開山。

元禄4年(1691年)、黒石第三代領主の命により現在地に移された。

法眼寺山門


寛保元年(1741年)、建立。

法眼寺鐘楼堂


延享3年(1746年)、建立。

鐘楼堂の南側に芭蕉の句碑があった。


出典は「真蹟画賛」。

百歳のけしきを庭の落葉かな

元禄4年(1691年)10月、彦根市平田の明照寺で詠まれた句。

寛政3年(1791年)夏、梅成・龜文建之。貞松筆。

梅成は木鴎の弟子として石黒宗石と並び称された。

文化9年(1812年)4月10日、没。

貞松は弘前の人。遠藤氏。闌更の門人。

 『諸国翁墳記』に「落葉塚 奥州津軽黒石法眼寺内 建之 梅成・亀文・貞松」とある。

もうひとつ芭蕉の句碑があった。


花咲て七日鶴見る麓かな

出典は『俳諧一橋』(清風編)。

 貞亨3年(1686年)3月20日、鈴木清風の江戸の屋敷で開かれた歌仙の発句。

天保14年(1843年)3月12日、芭蕉百五十年忌に松井如莱建立。

『諸国翁墳記』に「翁 塚 奥津輕 如莱建立」とある。

如莱は通称半六。

弘化3年(1846年)、48歳で没。

秋田雨雀の句碑もあった。


手を拡げて小さな実をこぼす初霰

昭和47年(1972年)11月5日、建立。

秋田雨雀は黒石の詩人、劇作家、社会運動家。

竹久夢二とも親交があった。

私は知らなかった。

法眼寺本堂


明和6年(1769年)、再建。

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