昔の旅日記

弘前城〜野萱草(のかんぞう)
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青荷温泉から国道102号に戻り、弘前に向かう。

 嘉永5年(1852年)閏2月29日、吉田松陰は弘前へ。

 石川より便道を取り、弘前に入る。是れ津經越中守十萬石の都なり。此の間、田間の小路に雪水洋溢し、往々脛を沒す。


弘前と言ったら、弘前城。


弘前城は日本100名城のひとつ。

 明治40年(1907年)5月24日、河東碧梧桐は弘前城を訪れた。

 六大門、三重堀という城の規模の大きさは、今なおその面影を忍ぶに足るものがある。昼貝吹が鳴き、夜狐が出ても、拙(へた)な人工を加えぬ処に、他の尊い或るものがある。 余りに人工を加えずに、現に建築物の残っておる六大門中の三四門まで徒らに朽廃せしめるのは過如不及(すぎたるはおよばざるがごとし)の感がある。これらは多少の人工を加えて、いつまでも旧観を存するようにして置きたいと思う。角櫓の一つも旧位置に復して、昔の面影を忍ぶたよりにしたいと考える。これらは公園のためではない、不朽の歴史のためであると思う。


弘前城と言ったら、桜。

弘前城

今は桜の季節ではない。

池の睡蓮も咲いていなかった。

野萱草(のかんぞう)の花が咲いていた。


季節外れの弘前城は空いている。
弘前城

現存12天守のひとつ。東北地方では唯一のもの。

 慶長16年(1611年)に完成。当初の天守は五層で本丸西南隅に構築されていたが、築城から16年後の寛永4年(1627年)に落雷して焼失した。

 現在の天守は江戸時代末期の文化7年(1810年)本丸辰巳櫓を解体新造したものである。

弘前城から国道102号で滝ノ沢展望台(標高698m)へ。


十和田湖の眺めはあまりよくなかった。

続いて、御鼻部(おはなべ)展望台(標高1,101m)へ。

十和田湖
十和田湖

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