2024年〜秋 田〜

秋田の赤い靴〜きららとしょかん明徳館〜

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| 平成6年(1994年)11月8日、(財)秋田県婦人会館移転5周年国際家族年記念に寄贈。皆川嘉博制作。 |
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明治20年1887年)11月14日、金子ハツは秋田女囚監倉で生まれた。息も絶えだえの赤子を引き取ってミルクを与えたのが、若い宣教師 カラー ハリソン(1859〜1937)である。 6歳になったハツを学校(現秋田市立明徳小学校)で学ばせたく、ハリソンは教え子の川井運吉に相談した。 結婚前の運吉は分家してハツを養女にした。 ハリソンの帰国はハツが12歳の時。残して行くにしのびず、ハツを連れて横浜から船に乗った。後にハツをロスアンゼルスの大学に入れるが、当時排日の嵐で卒業しても思うような就職口はなくコラ(ハツの米国名)の将来を案じたハリソンは日系人の多いハワイへ渡り共に教師の道を歩むが、コラは34歳の春、この世を去った。その後もハリソンは日系人のよき師、よき相談者となって78歳の生涯を全うした。2人はホノルルのヌアヌ墓地に眠っている。 −かっては苦悩にうちひしがれし 異邦人なれど いまぞわが故郷に辿り着きぬ− 1922年胸を病み死を覚悟したコラが残した詩の一 節である。 95年の歳月が流れて、いま、ふるさと人の愛の手がさしのべられた。コラの霊はどんなにか安らぎを得たことであろう。そして信仰と人間愛を貫き通したミス カラー ハリソンのお顔も晴れやかだ。
渡辺喜惠子 記 |
