2012年秋 田

能代八幡神社〜碑巡り〜
indexにもどる

能代市柳町に八幡神社がある。


社 殿


由 緒

人皇三十七代齊明天皇4年(658年)越の国国司安部比羅夫が齶田(秋田)渟代(能代)両郡、蝦夷征伐の時、蝦夷降伏の八幡と号して海岸中嶋に鎮祭座し、延暦年間(797−805)坂上田村麻呂が東夷征討の時、御旗を納めて戦功を奉賽したと伝えられている。

社殿前の左手に「桂葉碑」があった。


「桂葉櫻」

渟城毅(ていじょうつよし)、書。

渟城毅(1890〜1952)は能代八幡神社宮司。

当時、吉野から移植した桜があったという。

碑陰に桂葉の句が刻まれている。

黒きことうるしの如し五月雨

島田五空、書。

桂葉は当社三代別当。秋田俳壇の始祖といわれる。

 延宝8年(1680年)5月7日、西鶴は生玉神社南坊で「一昼夜四千句」を成就。この時の役人脇座十二人の中に桂葉がいた。

島田五空は本名長冶郎、後に豊三郎。

昭和2年(1927年)5月8日、能代俳句大会。

春を惜め同じ流れの季吟門   露月山人

昭和3年(1928年)9月18日、石井露月没。

昭和3年(1928年)12月26日、島田五空没。

八幡神社の境内に神代藤があった。

昭和31年(1956年)3月20日、能代の大火で焼けてしまう。

神代藤の囲いの中に五空の句碑があった。


かれ蔦と細り行く身やかせの音

五空の句碑の奥に五空選句の芭蕉句碑もあったようだが、気づかった。

くたびれて宿かる頃や藤の花

社殿の右手に高濱虚子と高濱年尾の句碑が並んで建っている。


高濱虚子先生
高濱年尾先生




睡蓮も河骨も花過ぎたるか
 
締切の雨戸に窓や雪籠
昭和21年9月、当八幡神社池畔にての作。
昭和30年2月、能代市京五紅宅にての作。

2012年秋 田〜に戻る