2011年愛 知

渥美半島〜椰子の実記念碑〜
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 渥美半島の南岸を国道42号で伊良湖岬に向かうと、「日出の石門」に下りる遊歩道がある。


海を見下ろす。


遊歩道の途中に「椰子の実記念碑」があった。


椰子の実

   島崎藤村

名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ

故郷の岸を 離れて
汝はそも 波に幾月

旧の木は 生いや茂れる
枝はなお 影をやなせる

われもまた 渚を枕
孤身の 浮寝の旅ぞ

実をとりて 胸にあつれば
新なり 流離の憂

海の日の 沈むを見れば
激り落つ 異郷の涙

思いやる 八重の汐々
いずれの日にか 国に帰らん

 明治31年(1898年)の夏、柳田國男が大学生の頃、網元の離れ座敷を間借りして伊良湖に1ヶ月余り滞在、恋路ヶ浜を散策中に椰子の実を拾った。その話を島崎藤村に語ったところ、それが素材となって「椰子の実」の詩が生まれたという。

 昭和11年(1936年)、大中寅二によって作曲され、国民歌謡として全国に放送された。



大中寅二(1896−1982)

・明治29年6月29日東京に生まれる。

・東京慶応幼稚舎、大阪府立北野中学校を経て、同志社大学法学部を卒業後、山田耕筰に師事。

・中学の頃より大阪教会で、大正9年より昭和54年まで東京赤坂霊南坂教会でオルガニスト及び聖歌隊指揮者をつとめる。

・大正14年、ベルリンに留学。

・昭和54年3月25日礼拝中に倒れ、昭和57年4月19日天に帰る。

(享年86才)

・歌曲「椰子の実」をはじめ交声曲、合唱曲、リードオルガン曲、パイプオルガン曲、子供の歌、校歌、社歌等、数多く作曲し、現在そのほとんどは日本近代音楽館に保管されている。

香代記す

山口誓子は、「椰子の実の藤村詩碑」を見ている。

 私はそれから石門まで行って、椰子の実の藤村詩碑を見た。その場処から西に恋路ヶ浜、東に片浜十三里海岸を見渡すことが出来る。この世にこんな美しい汀線があるとは。芭蕉は見たにちがいない。


椰子の樹


 この記念植樹は当社創立15周年記念として昭和54年4月から6月の間放流希望者を一般募集して北マリアナ諸島ロタ島より1,000個の椰子の実にココナッツ・メッセージを取りつけて放流し、その1個が到着した記念として植樹したものである。

   昭和54年10月28日

伊勢湾フェリー株式会社

 柳田國男が滞在した網元の家は、現在の「伊良湖ガーデンホテル リゾート&スパ」の敷地内にあり、平成4年、ホテルの前に「柳田國男逗留の地」の記念碑が建てられた。

日出の石門


伊良湖岬から日出の石門までの約1kmは「恋路ヶ浜」。

春さめにぬれてひろはんいらご崎恋路ヶ浦の恋わすれ貝

「恋路ヶ浜」は「日本の渚百選」に選ばれているが、いい写真は撮れなかった。

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