2012年愛 知

庚申寺〜芭蕉の句碑〜
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新城市北畑の国道301号沿いに庚申寺という寺がある。


庚申寺に「見ざる聞かざる言わざる」の三猿の石像がある。


 太田白雪の「新城聞書」によると、新城城主菅沼定実が万治4年(1661年)武運長久のため江戸で庚申の石造を造り、この地に枝をたれた松の木の下に安置した。

 ある時、城主定実が家老と家来たちを連れてここを通ったところ、松の枝に大蛇がとぐろを巻いているのを見付けた。それは11月のことで、蛇は土中に入って冬籠りをする季節に木の上に居るのは不思議であると指さされたが、家老だけは見えても他の家来たちには見えなかったので、これは庚申の奇瑞であろうと信心を新たにし、寛文2年(1662年)、ここに堂を建て石造を納め秘仏としたと誌してある。

正徳2年(1711年)、庚申堂を改築し庚申寺と改めた。

 寛文元年(1661年)、太田白雪は新城豪商太田弥平太重長の四男として生まれる。

 元禄4年(1691年)、芭蕉は江戸に下る途中、太田白雪を訪ねた。白雪は芭蕉を鳳来寺山に案内している。

 享保14年(1729年)、『新城聞書』。

享保20年(1735年)、75歳で没。

安心は病が上の極書かな

菩提寺永住寺に白雪像と句碑があるそうだ。

三猿の石像の右に芭蕉の句碑があった。


芭 蕉 翁

京に飽て此木からしや冬住居

出典は『笈日記』。「菅沼亭」と前書きがある。

 「菅沼亭」は菅沼耕月の屋敷。耕月は新城城主菅沼定実の家老、本名は定次、権右衛門。隠居後は宗古と号した。菅沼曲水もその一族である。

寛政11年(1799年)10月12日、建立。吉田の俳人五束斎木朶筆。

真明山庚申寺


曹洞宗の寺である。

昭和52年(1977年)5月、改築。

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