一茶ゆかりの地


一茶・井泉水記念俳句資料館「湯薫亭」

 「一茶の散歩道」から温泉街に戻り、一茶・荻原井泉水記念俳句資料館「湯薫亭」へ。


一茶・荻原井泉水記念俳句資料館「湯薫亭」は毎週月、火、水曜日が休館日。

 休館日にも拘わらず、一茶・井泉水記念俳句資料館「湯薫亭」研究員の小野久雄氏が待っていて、説明して下さった。休館日だから、他に誰もいない。

 文化9年(1812年)、小林一茶は50歳で柏原に帰郷。翌年より湯本旅館湯本希杖その子其秋と俳諧を通じての交際が始まり、晩年まで湯田中を訪れ、長期滞在した。一茶が湯本希杖を訪れたばかりではなく、希杖も一茶を訪れいている。その関係で「一茶ゆかりの宿湯田中湯本」には一茶晩年の日記類、遺墨が多く伝えられている。

〔廿〕九 晴 エベ 中野 戸狩ヲ通リテ田中ニ入

『七番日記』(文化10年10月)

 文化11年(1814年)2月5日、一茶は湯田中を訪れ、11日には六川の梅松寺へ。

五 晴 田中ニ入

七 晴 川原湯ニ入

十一 晴 六川梅松寺

『七番日記』(文化11年2月)

 同年6月2日、一茶は梅松寺の住職知洞と湯田中に入り、9日門人久保田春耕がいる高山村の紫へ、11日には知洞のいる六川村に入る。

二 晴 知洞ト田中ニ入

九 晴 紫ニ入

十一 晴 六川ニ入

『七番日記』(文化11年6月)

田中は湯田中。

 文化12年(1815年)5月2日、一茶は湯田中を訪れた。10日まで滞在して、六川に行く。

二 晴 田中ニ入 出水舟留

十 晴 六川ニ入

『七番日記』(文化12年5月)

   田中

涼風に欠(あくび)(ついで)の湯治哉

『七番日記』(文化12年6月)

 文化15年(1818年)2月5日、一茶は素玩と湯田中に入る。9日、湯本希杖と常楽禅寺に詣で、六川へ。

五 晴 素玩ト田中ニ入

九 晴 希杖ト中野常楽禅寺詣 無相(窓)国師坐禅石山ニ西国卅四番石観音 六川ニ入

『七番日記』(文化15年2月)

一茶ゆかりの宿湯田中湯本」


 大正6年(1917年)7月、荻原井泉水は上林温泉に滞在。初めて湯田中で一茶の遺墨を見る。その後一茶を研究、出版。それによって一茶が世に知られるようになったそうだ。

 平成12年(2000年)6月4日「一茶ゆかりの宿湯田中湯本」当主の湯本五郎治氏が一茶、荻原が愛用した離れを改装し、湯薫亭(とうくんてい)と名付けてに開館。

 一茶・井泉水記念俳句資料館「湯薫亭」は手前が荻原井泉水関係、小林一茶関係の資料



   おのれのすがたにいふ

ひいき目に見てさへ寒きそ婦りかな   一茶

『一茶発句集』

『一茶発句集』は、文政12年の一茶三回忌に発行された。

この絵は千曲川万葉公園にある一茶の句碑の絵に似ている。

類句に「ひいき目に見てさへ寒き天窓(あたま)かな」がある。

『七番日記』所収。文化15年(文政元年)作。

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