一茶ゆかりの地東 京



多田薬師跡

駒形橋を渡ると、墨田区。


同所大川端にあり。玉島山明星院東江寺と号す。(天台宗東叡山に属す。惣門に掲(か)くる所の玉島山の額は、韓人雪月堂李三錫の筆なり。本尊薬師佛の像は恵心僧都の作にして、多田満仲公の念持仏なりといへり。(左右の脇壇に十二神将の像を置きたり。)

『江戸名所図会』(多田薬師堂)

 墨田区東駒形1−4、14、15、本所保健センター(旧本所保健所)界隈が多田薬師跡である。


今では跡形もない。

 寛政2年(1790年)8月初旬、夏目成美は多田薬師に隣接して法林庵(随斎)を設けた。小林一茶は、この庵で催される句会等に足繁く通った。

 文化3年(1806年)7月2日、多田薬師で元夢七年忌。

二日 元夢七年忌 多太(田)薬師ニ有

浅々の蕣(あさがほ)好やけふも咲

『文化句帖』(文化3年7月)

秋風の吹行多太(田)の薬師哉

『七番日記』(文化7年8月)

翌20日、一茶は馬橋へ、22日には布川へ。

はつ厂に多だ(田)の薬師の帰帆哉

『七番日記』(文化7年9月[文化13年6月之部])

 文化13年(1816年)11月19日、一茶は布川で成美の死を知る。

[十]九 晴 布川ニ入 成美没

『七番日記』(文化13年11月)

   随斎旧迹

霜がれや米くれろとて鳴雀

霜がれにとろとろセイビ参り哉

『七番日記』(文化13年12月)

   イタミ

君なくて誠に多太(田)の木立哉

『七番日記』(文化14年2月)

 文化14年(1817年)3月19日、一茶は多田薬師で月斎の追善会に出席。

[十]九 晴 於多太(田)社月斎追善

『七番日記』(文化14年3月)

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