一茶の句碑
眞城院
散る木の葉渡世念佛とほりけり
国道356号(利根水郷ライン)と県道79号横芝下総線の交差点付近に真城院というお寺がある。 |
文化7年(1810年)10月15日、一茶は田川から佐原に向かう途中で、高岡を通りがかった。 |
十五 風吹 田川の舟を渡りて、高岡の北通り、金江津を川北になして行く。日ごろ時雨にぬかり(る)みおほく、一(人)足のあたる所は、帯の広さ程なる片[道]つきぬ。 しかるに口とりなき、[馬の]したゝか稲を負て、三四疋とろとろ来かゝるに、せんすべなく猶予(ためら)ひける。先に立たる馬のがぶがぶ泥の中へよけてゆく。迹(後)の馬も引つゞきて、かたのごとくなして、又もとの道に出て、ゆさゆさと急ぎける。 彼は重荷負たれば、身じろぎ自由ならず、我は頭陀袋一つ、いか様にも片脇へよりてこそ本意なるべけれ。 馬の心に無法者とや思ひたらん。あまり不便さに、堤に休らひ見おくりければ、しばらくしてかへりて、主をよびつゝ艸はみて彳(たたず)む。やがて刈穂をそれざれにゆひつけて、人に物いふやうに追立れば、聞分て家の方へ歩み出しぬ。田の人に問へば、「けふも今九つ時迄に七度かくして通ひける。」となんかたる。おのれ人には常の産となすべき事もしらず、人の情にてはながらふるは、物いはぬちくるい(畜類)にはづかしき境界也けり。 |
『七番日記』(文化7年10月) |