一茶ゆかりの地長 野


北国街道下戸倉宿

国道18号は北国街道


「戸倉駅入口」交差点に坂井銘醸株式会社がある。


 坂井銘醸株式会社は北国街道下戸倉宿で400年にわたり代々酒造り営んできた「坂井醸造店」。

志賀直哉の小説「豊年虫」に出てくる「造り酒屋」である。

 純米吟醸酒の「雲山」を買ったら、紙袋に加舎白雄の句と説明が書いてあった。

冷し酒旅人われをうらやまむ

 加舎白雄(かやしらお)は蕪村とならび称せられる江戸中期の俳人。俳人としての出発を信州で送り、多くの秀吟を残した。当主坂井鳥奴はその高弟で当家において巻かれた歌仙は数多い。句にある冷し酒は軽くあたためてから冷水でひやした酒のことである。夏の季語。

 坂井銘醸株式会社の前に「北国街道下戸倉宿萱乃庵(かやのいおり)」と書いてあった。


 小林一茶は北国街道下戸倉宿の虎杖菴に4回ほど訪問、宿泊している。虎杖菴は、本名が宮本八郎兵衛。加舎白雄門の俳人。古慊・天姥・李翁の別号がある。更級・埴科(はにしな)地方を中心に、猿左(えんさ)の勢力と競い合う一大俳圏を築き上げていた。

 猿左(えんさ)の没後は、長野以北への進出をめざし、門人の宮沢武日倉田葛三と共に、多彩な俳諧活動を展開する。文政6年(1823年)8月13日、83歳で亡くなる。

 文化5年(1808年)12月10日、一茶は初めて虎杖を訪問したらしい。同年7月9日、一茶は柏原で祖母三十三回忌取越し法要を営んだが、江戸へ帰る途中のことである。

 文化7年(1810年)5月26日、柏原から江戸へ帰る途中で「戸倉虎杖菴泊」。

 文化9年(1812年)6月16日、柏原に向かう途中で「戸倉虎杖菴ニ入」。

 文化11年(1814年)8月3日、「戸倉虎杖ニ入」。

宮本虎杖の子孫の方が住んでいた家が残っていたが、取り壊されたそうだ。

一茶ゆかりの地長 野〜に戻る