道まで駕にておくられ、此日は八里追分迄ゆきぬ。若林なにがしといふに舎りけれど、主人留守にてまみえず。朝とく立出るとて
ぬしもしらでかり寝に夜寒凌ぎけり
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文化4年(1807年)11月15日、一茶は上田から追分を通り軽井沢へ。
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十五日 晴 追分より雨 軽井沢 白木屋清八ニ泊
『文化句帖』(文化4年11月) |
文化6年(1809年)4月7日、一茶は江戸を立ち、7日追分宿に泊まる。
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五[日] 晴 江戸立
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七[日] 雨終日 追分こくや宗左衛門泊 悪宿也
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『文化六年句日記』 |
文化12年(1815年)9月4日、一茶は故郷の柏原から江戸に出る途中、坂木から追分宿に泊まっている。
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四 晴 追分 小野屋宇八泊
『七番日記』(文化12年9月) |
文化13年(1816年)9月26日、一茶は上田から追分宿へ。
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[廿]六 曇 追分 日野屋平介
『七番日記』(文化13年9月) |
これを最後に一茶は江戸に出ることはなかった。
追分の一里手前の秋の暮れ
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追分は一里手前ぞ秋の暮れ
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追分の一里手前の雲雀哉
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『七番日記』(文化15年2月)
追分の一里手前の秋の暮れ
『七番日記』(文化15年7月) |
同じ様な句を詠むものだ。
いずれも追分宿で詠んだ句ではない。
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