一茶の句碑



門前や何万石の遠可須ミ

松山市八反地の門田邸に小林一茶の句碑があるというので、訪ねてみた。

小林一茶の句碑


門前や何万石の遠可須ミ

昭和36年(1961年)12月、建立。

 江戸末期の有名な俳人小林一茶は寛政7年(1795年)1月、伊予路に師匠竹阿と親交のあった西明寺の住職茶来を訪ねたが、すでに死亡していた。

 『寛政紀行』によると、13日は上難波高橋五井邸に、14日は10丁程南の八反地(はったんじ)門田兎文邸に泊まる。

   門前や何万石の遠かすみ

 満巻して十五日松山二畳庵に至る、とある。

 一茶は帰途2月11日再び当家に立ち寄り3泊した。兎文は八反地の大庄屋で俳諧を愛好し、茶来の俳友。全国の俳人と交友がひろかった。

風早一茶の会

 十三日、槌(樋)口村などいへる所を過て、七里となん、風早難波村、茶来を尋ね訪ひけるに、已に十五年迹に死き〔と〕や。後住最明寺宿乞に不許。前路三百里、只かれをちからに来つるなれば、たよるべきよすがもなく、野もせ庭もせをたどりて、

   朧々ふめば水なりまよひ道

百歩ほどにして五井を尋当て、やすやすと宿りて、

   月朧よき門探り当たるぞ

 十四日、十丁程、八反地村、兎文に泊る。

   門前や何万石の遠がすみ

 歌仙満巻して、

 十五日、松山二畳庵に到る。



 十一日、三津を出て□里、又八反地村に戻る。

途中吟、遠望

   凧(いかのぼり)青葉を出つ入つ哉

 十四日、又波止浜に戻る。

『西国紀行』

兎文の句

夕涼み加茂河の水に任せたり


一茶の句碑に戻る