一茶の句碑



千曲川万葉公園

有合の山ですますやけふの月

戸倉上山田温泉の万葉橋のたもとに千曲川万葉公園がある。


千曲川万葉公園に小林一茶の句碑もある。


姨捨などとは老足むづかしく

有合(ありあい)の山ですますやけふの月

出典は『梅塵本八番日記』(文政4年)。一茶59歳の句。

「有合(ありあい)の山」は、有り合わせの山。

 『風間本八番日記』(文政4年9月)の前書きは「姨捨なんどゝ草臥るも全(詮)なれけば」となっている。

『春秋稿』(第八編)にも収録されている。

昭和60年に建てられた句碑で、小林一茶自筆のものを拡大したらしい。

姨捨のくらき方より清水かな

『花月集』

寛政11年(1799年)、一茶が姨捨を詠んだ最初の句であるようだ。

文化6年(1809年)8月15日、小林一茶は姨捨山に登る。

 久しく願ひけるに、北国日和定めなくて、おもひはたさざるに、今年文化六年八月十五日、同行二人姨捨山に登る事を得たり。

けふといふ今日名月の御側かな


 「北国日和定めなくて」は、元禄2年8月14日の夜に芭蕉が敦賀で詠んだ「名月や北国日和(ほっこびより)定めなき」による。

   十五日、亭主の詞にたがはず雨降。

名月や北国日和定めなき

『奥の細道』(敦賀)

以後、一茶は姨捨の句を幾つも詠んでいる。

   姨捨山

人声やおくれ月見も所がら

『七番日記』(文化13年8月)

姨捨た奴も一つの月夜哉

姨捨た奴もあれ見よ草の露

『七番日記』(文化14年8月)

姨捨に今捨てられしかゞし哉

『七番日記』(文化14年9月)

姨捨ぬ前はどこから秋の月

姨捨はあれに候とかゞし哉

『七番日記』(文化15年8月)

姨捨はあれに候と夕かゝし

『文政句帖』(文政6年7月)

十五夜に姨捨山の雨見哉

『文政句帖』(文政7年8月)

どれも姨捨山で詠んだ句ではないようだ。

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