一茶ゆかりの地千 葉


金ヶ作陣屋跡

JR武蔵野線新八柱駅から新京成電鉄に沿って歩く。


「金ヶ作陣屋跡」があった。

金ヶ作陣屋跡


 かつて東葛地方には、使役や軍役に用いる馬を確保するために小金牧という大規模な放牧場がありました。金ヶ作陣屋は牧の管理を司る在地の役所でした。

 寛政3年(1791年)3月26日、小林一茶は江戸を発ち、出郷してから初めて柏原に帰る。柏原に帰るのに先立ち、29日馬橋から布川に向かう途中で小金原を通りがかる。

 廿九日、小金原にかゝる。此原は公の馬をやしなふ所にして、長さ四十里なるをもて、四十野といふ。草はあく迄青み、花も希々に咲て、乳を呑(のむ)駒有、水に望むあり、伏(ふす)有、仰ぐあり、皆々食に富て、おのがさまざまにたのしぶ。


文化2年(1805年)10月22日、一茶は小金原の馬を詠んでいる。

廿二日 雨

   小金原

冬枯や親に放れし馬の顔

『文化句帖』(文化2年10月)

文化4年(1807年)3月1日、一茶は小金原を通り流山に入る。

一日 晴 曇 此日花御堂作るとて道に童ども銭をとる 流山ニ入

   小金原

雉なくやきのふ焼れし千代の松

よるハとしや野べは鳥鳴桜咲

『文化句帖』(文化4年3月)

文化7年(1810年)6月14日、流山から小金原を経て守谷に向かう。

十四 晴
 小金原


 布施村中食す。守谷西林寺入。将門旧迹所々に有。

下陰をさがしてよぶや親の馬

『七番日記』(文化7年6月)

流山市の香取神社に句碑がある。

一里塚の碑


下陰をさがしてよぶや親の馬

文政2年(1819年)6月、一茶は小金原を句に詠んでいる。

   小金原

母馬が番して呑ます清水哉   一茶

『おらが春』

松戸市常磐平の子和清水に句碑がある。



母馬が番して呑ます清水哉

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