文化3年(1806年)、醍醐新兵衛4代定恒(葛飾派の俳人 俳号は宜明)が鯨見物に招き、浄蓮寺に8泊、5句を詠んでいる。 |
わが墓に夏の草花を供えていると、蝶が来てその夏花に止まった。夏花がご先祖様の霊を呼び寄せたのであろうか。ありがたいことである。
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宜明は溝口素丸の門人。 夏花(げばな)は夏篭(げごもり)(夏の間禅僧が一室にこもって修行する)の間、仏に供する花。 |
十九日 晴 勝山浄蓮寺ニ入 鯨見物 小盥(こだらい)も蓮(はちす)もひとつ夕べ哉 痩梅(やせうめ)のなりどしもなき我身哉 廿一日 晴 わざわざに蝶も来て舞ふ夏花(げばな)哉
『文化句帖』(文化3年5月) |
文化12年(1815年)11月26日、一茶は再び勝山を訪れ風至の家に泊まる。 |
[廿]六 晴 カツ山風至ニ入 犬狩有 [廿]七 晴 久保ニ入 夜少雪 補陀洛山那古寺
『七番日記』(文化12年11月) |
文政9年(1826年)、『杉間集』。配本扣に「城前 武田玄碩 風至」とある。 |
正月や奇麗に捨し海老の殻 |