一茶ゆかりの地
〜行 徳〜
寛政3年(1791年)4月8日、一茶は行徳から乗船して中川の関に入った。 |
行徳より舟に乗て、中川の関といふにかゝるに、防守、怒の眼おそろしく、婦人をにらみ返さんとす。是おほやけの掟ゆるがせにせざるはことわり也。又舟人いふやう、「藪の外より、そこそこのうちを通りて、かしこへ廻れ」といふ。とく教のまゝにすれば、直に関を過る事を得たり。誠に孟甞君が舌もからず、浦の男の知恵もたのまず。げにげに丸木をもて方なる器洗ふがごとく、隅み隅みの下闇を見逃(す)とは、ありがたき御代にぞありけ(る)。 |
文化3年(1806年)12月12日、一茶は船で行徳に渡り、陸路佐原を訪れる。 |
十二日 朝雨 佐原ニ入
『文化句帖』(文化3年12月) |