一茶ゆかりの地千 葉


安養寺

東京メトロ東西線原木中山で下車。


市川市高谷にある安養寺を訪ねる。

安養寺


安養寺は真言宗豊山派のお寺で、山号は海岸山。

桜は3分咲き程度。

 小林一茶と親交があったといわれる太乙庵素英が晩年に住んでいたお寺である。

 文化11年(1814年)9月26日、一茶は高谷村に入り、翌27日に曽我野村に、さらに28日には木更津へと俳諧行脚する。

[廿]六 晴 高谷村ニ入

[廿]七 晴 ソガノニ入

[廿]八 晴 木更津ニ入

『七番日記』(文化11年9月)

 文化12年(1815年)10月24日、一茶は新井から高谷に入る。

四 陰 終日 荒井ヨリ高谷ニ入

『七番日記』(文化12年10月)

 この時、安養寺で句会が開かれたらしい。成田山新勝寺の素迪上人、成田神光寺住職至長、布川の古田月船、守谷の大庄屋斉藤徳右衛門などが句会に参加したようだ。

26日には布川へ。

 文化12年(1815年)11月15日、一茶は再び高谷村へ。16日、曽我野村に入り、木更津から房総を俳諧行脚。

[十]五 陰 辰刻霰 未刻酉刻雨 高谷入 海岸山ニ入

[十]六 ソガノニ入

[十]七 木更ツニ入

『七番日記』(文化12年11月)

 文化13年(1816年)12月5日、高谷に入る。

五 晴 高野ニ入 当寺鉦買

『七番日記』(文化13年12月)

「高野」は高谷。「当寺」は安養寺であろう。

 文化14年(1817年)5月15日、一茶は曽我野から高谷に入る。

[十]四 晴 甲(申)刻雨 ソガノニ入

[十]五 晴 高野(谷)ニ入 当寺鉦買

『七番日記』(文化14年5月)

これが最後の訪れである。

 嘉永2年(1849年)、小林一茶と親交があったといわれる太乙庵素英は安養寺で亡くなった。

 安養寺歴代墓所には辞世を刻んだ立派な墓石が立っているそうだが、私は見なかった。

西船橋にある山野山正延寺に辞世の句碑が残されているそうだ。

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