小林一茶ゆかりの地



〜上尾宿〜

JR高崎線上尾駅東口の駅前通りが旧中山道である。


氷川鍬神社


寛永9年(1632年)、鍬大神宮創立。

 明治41年(1908年)、鍬大神宮に二ツ宮氷川神社の女体社を合祀して氷川鍬神社となった。

鍬大神宮は「上尾宿総鎮守」と書いてあった。

上尾宿は中山道六十九次のうち江戸から数えて5番目の宿場。

中山道上尾宿と本陣

 上尾市の市街の中心は、中山道にそった上尾宿をその源にしていますが、この上尾宿はすでに後北条時代に宿駅として成立したようです。宿駅として整備されたのは、慶長7年(1603年)伝馬制施行以降のことです。幕府は中山道各宿駅には、50人50匹の人馬を用意させ、主要幹線路としての役割をはたさせました。

 また、各宿に本陣、脇本陣を置いて大名などの宿泊所としました。中山道を通行した大名は、加賀の前田家をはじめ34家ほどでした。上尾宿は、中山道の中では比較的小さな宿場でした。江戸時代末の家数は、182軒、人口は793人、旅篭屋は、41軒でした。

 上尾宿は中山道の中では比較的小さな宿場だったようだが、本陣は中山道の宿場中塩尻宿に次ぐ大きな宿泊設備を整えていた。

 鍬大神宮の正面に本陣があり、その両側に脇本陣が2軒あった。鍬大神宮のすぐ南にもう1軒の脇本陣があり、上尾宿には本陣が1軒(林八郎右衛門)、脇本陣が3軒(本陣の両側が白石長左衛門、井上五郎右衛門、向いが細井弥一郎)あったそうだ。

 文化7年(1810年)5月10日、一茶は江戸を発って柏原に向かい、上尾で雨に遭う。

その日は鴻巣に泊まる。

 けふはけふはと立おくれつゝ、入梅空(つゆぞら)いつ定るべくもあらざれば、五月十日東都をうしろ[に]なして、

   五月雨や胸につかへるちゝぶ山

上尾といふ所にて雨にあふ。合羽買。五百文。

鴻之巣 油屋次良左衛門[に]泊

『七番日記』(文化7年5月)

 文化9年(1812年)6月12日、一茶は江戸を立ち、上尾宿に泊まる。

十二 朝雨晴、江戸立。上尾 遠山泊。

『七番日記』(文化9年6月)

同年8月17日、一茶は江戸に向かい、上尾宿に泊まる。

十七 晴 上尾 わか松○

『七番日記』(文化9年8月)

 文化11年(1814年)12月17日、一茶は江戸を立ち、上尾宿に泊まる。

十七 
 晴 江戸出立


 未刻ヨリ雨 夜大雪 上尾 油屋多左ヱ門泊

『七番日記』(文化11年12月)

 文化14年(1817年)6月27日、一茶は江戸を立ち、上尾宿に泊まる。

[廿]七 晴 上尾 油や多左ヱ門

『七番日記』(文化14年6月)

以後一茶が江戸に出ることはなかった。

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